2012年4月8日日曜日

コーヒー山の動物: 世界最高のコーヒーを沖縄で栽培する


我が家では大型犬(ラブラドール)と室内で共生しているために
昨年7月に引越しする前のリフォーム時に
古くて傷んだ畳や襖(ふすま)を全部撤去してしまい、
貼り替えたコンパネの床の上には、
ペットに配慮した滑りにくく傷が付きにくいというキャッチフレーズの
少し厚めのクッションフロアを床全面に敷きつめてあります。

また、小さい床の間には、無造作に荷物を積み重ねていて、
山水などの水墨画の掛け軸や生け花、香炉がある
本来の、お客様のおもてなしの心という風情とはほど遠い
積み将棋のような、いつ崩れてもおかしくない
罰当たり的な"ミニ仮倉庫"になってしまっています。


 7月24日に地デジ化移行後8月1日までの8日間は
 我が家は地デジ難民に陥っていました。
 本島北部や離島などの過疎地では、
 単純に地デジ対応のテレビ器機や
 チューナーの有無だけの問題ではなく、
 地デジの送信設備自体が不備で、
 私の住む集落でも完ぺきな地デジ化は
 半年後なのか1年後なのかも判らない状況なのです。
 総務省への問い合わせもしましたが事務的で冷淡な対応のために
 「地元の完全地デジ化までは地デジ難民でもしょうがない」
 と覚悟していたのですが、近所で
 「タダでチューナーを取り付けてもらい衛生でテレビが見えるようになった」
 というので、村役場に相談に行ったのです。
 村役場では予想外に誠実に親身に動いていただき、
 総務省にも連絡代行していただいたおかげで、8月1日に
 衛生アンテナとチューナーをタダで設置していただいて、
 テレビが見れるようになったのです。
 沖縄に住みながら東京のテレビ番組を見るのも不思議な感じで
 沖縄に接近する台風状況などは天気予報でも
 まったく詳細の説明がないものの、
 衛生でテレビが見れるようになったことで少し文化的になりました。

平安時代に貴族が住んでいた寝殿(しんでん)造りとよばれる住宅は、
京都御所内の紫宸殿(ししんでん)のように
中央に寝殿(しんでん)と呼ぶ中心的な建物が南側の庭に面して建てられ、
その両側(東西)に対屋(たいのや)という付属的な建物を配した
上から見ると「コ」の字形をした住居で、
中央の寝殿前の広い庭や池があり、
庭園では儀式や舞の舞台にもなったようです。

こけら葺きの屋根で板戸の突き上げ窓、
丸柱に板張りの高床で、屏風(びょうぶ)や押し入れ、床の間、
畳、間仕切りがない、といったシンプルなバリアフリーの
ワンルームがつながったような造りの住宅ですから、
人懐っこいヤンバルクイナの大生息地内にある我が家の周りには
ハブやアカマタ、バーバートカゲなどの爬虫類や
カエルなどの小動物などによる食物連鎖が
常態的に起きているサバンナや直線距離で約1kmの海を、
広義で庭や池に例えれば
我が家はさしずめ野生の王国内の"寝殿造り"なのかもしれません。
(そういえばヤンバルクイナも国指定天然記念物ですが、
 今日のテーマは別の野鳥のことです)


異なるdiminsionsは何ですか


 夜、寝始めたときに妙な気配がしたので
 電灯を着けてあちこち見ていたら
 私のベッドの上の窓枠の桟(さん)をヘビが移動していました。
 アカマタの子供です。
 就寝中に頭にヘビが落ちてきたら誰だってイヤですから
 早目に気づいて良かったです。
 ヘビがどこから侵入したのかは不明ですが、
 別の日は風呂場の三角コーナーに
 ハブの子供を発見して大騒ぎになりました。
 室内で発見したヘビは可哀想ですが
 また家に侵入してくる可能性があるために
 剪定バサミで切り、ハンマー投げのように
 遠くに投げ飛ばしました。
 ハブは猛毒がありますが、アカマタは無毒のかわりに
 短気で獰猛(どうもう)な性格で、
 「同等の体長のハブも飲みこんでしまう」
 らしいので
 「アカマタがいるところにはハブはいない」
 ともいわれています。
 我が家の庭の内外ではカエルが多いために
 時々アカマタ君に出会いますが
 今のところヘビが先に移動してくれるので
 咬傷事件までは起きていませんが…。


 我が家では洗濯機を風呂場の外に設置しているために
 台風の暴風雨で潮をかぶったりして故障がちです。
 その風呂場の小窓のアルミサッシの外側窓枠に
 約150cmのヘビの抜け殻がありました。
 庭の内外にはカエルがたくさん生息しているために
 ヘビも寄ってくるんですね。
 抜け殻の模様からはアカマタらしかった、と記憶しています。
 このブログではヘビやトカゲ画像が多く掲載されるために
 誤解される方が多いのですが、
 私は爬虫類が大好きなのではありませんよ。


 我が家の玄関前に潜んでいたヒメハブです。
 胴が太く、尻尾が細く短かく、ツチノコのような感じのヘビです。
 毒ヘビの特長である"頭が三角"なので
 「猛毒がある」とも言われていますが
 地元の人たちは
 「毒はほとんどない、踏んでも咬まれることもない」
 とも言う人がいます。
 でも咬まれたくはないです。
 体長は60〜80cmくらいかな、
 動かずにジッと獲物を待つタイプのヘビで
 草刈りをしていても保護色をしているためになかなか気づきません。
 ある意味"地雷"のようなものですね。
 撮影時はたまたま剪定バサミで雑草を刈り発見しました。
 玄関前で犬が毎日歩いているあたりなのに、よく無事だったものです。
 ヘビはスコップですくい上げて、これもハンマー投げの要領で
 ヤンバルクイナが歩くブロック塀の10mくらい外に投げ飛ばしました。

この寝殿造りは、
京都の公卿政権と鎌倉の武家政権が対立し
やがて武家政権が成立する鎌倉時代になると、
書院造りという実用向きの住宅に進化します。

書院造りの特長は
寝殿造りを武家社会に馴染むように実用的にアレンジした住宅形式で、
柱は丸柱から角柱になり襖(ふすま)や障子による引き戸が発達し、
いくつもの小部屋にきっちり区切って、そこに畳を敷きつめるようになり、
壁や天井も付けられ、格式が重んじられ、
対面・接客の機能を重視して造られました。

やがて室町時代後期から江戸時代初期にかけて
「書院造り」として発展するのですが、
 ・床の間
 ・引き違い棚
 ・付書院(=造り付けの文机)

という座敷飾り3点セットは、室町時代の東山文化の特長で、
また日本画の原点をなす水墨画や茶道の習慣も
中国(明)から渡来した時期でもあります。


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それらが日本式住宅の基本的な形式として広まり、
安土桃山時代の、
「バブリー成り金紳士といえば金ピカのローレックス」
のような
権力者の威光やプライド、見栄といった
金銀まばゆい豪華絢爛(けんらん)な武家書院造りから
江戸時代には簡素な造りに変わっていきます。
江戸時代の4代将軍・家綱が、
わずか11歳で将軍就任の5年後に発生した、
江戸の大半を焼失した大火災・明暦の大火(1657年3月)を契機に、
江戸の都市改造が大々的に行われ、
天井絵や襖(ふすま)絵は少なくなり
茶室など作意を取り入れた清閑かつ質素で素朴な
草庵風住宅の数寄屋(茶室)造りへと変わり、
それが今の和風住宅にも引き継がれて
床の間には掛け軸やお花が活けられたりしている家もあるわけです。

「数寄(すき)」は、
「和歌や茶の湯、生け花など風流や風情を好むとか楽しむ」
ことで、
「数寄屋」は、
「好みに任せて造った風情ある屋敷」
というような意味で、それが"茶室"なのだそうです。
こういう茶道の基本理念でもある「侘(わ)び・寂(さ)び」の精神は、
残念ですが、今は日本人よりも
日本に観光に来る外人の方が詳しいかもしれません。


 我が家の台所の窓のすぐ外側に
 高さ4mほどのシマグワが生えていて
 画像左下のようなトゲトゲの赤い実を付けるために、
 いろいろな野鳥が食べに来て、
 台所に居ながらにしてバードウォッチングが楽しめるのです。
 シマグワは漢字で書くと「島桑」で、桑の木ですが、
 シマグワは南西諸島や台湾、南中国に分布する落葉中高木で
 本土のヤマグワ(山に生える桑)とは少し違うようです。
 クワの名の由来は、蚕が葉を食べるので「蚕葉(コハ)」、
 あるいは「食う葉」が訛ったといわれています。
 画像の野鳥はノグチゲラで、これが今日のテーマです。

室町時代は足利将軍家による15代237年間も続きますが、
(平安時代は398年間、江戸時代は265年間ですから
 けっこう長く続きました)
書院造りが一般に広まったのは室町時代中期の
8代将軍・足利義政の東山文化の頃だといわれています。

足利義政は、
「政治は人任せで、芸能・文化・芸術に没頭」
して、
どこかの国の無能な総理のように
日本史の将軍としては低い評価しかないのですが
文化面では後世に功績を残していて、
文化面ではノーベル文化勲章か、
それ以上の評価があるべき将軍なのですが、
その東山文化の頃の中国は
明の6代〜8代皇帝の時代にあたります。

明朝は約280年の間に16人の皇帝が即位しましたから、
江戸時代の265年間で15代の将軍が即位したのと
だいたい同じような感じです。
明朝で名君といえるのは初代皇帝・洪武帝と
3代永楽帝くらいのもので、
明朝の全盛も永楽帝の時代で、
やがて衰退の道を歩み始めます。

明朝の歴史では、その衰退の主たる原因が
「北虜南倭」
があげられます。
"北虜"とは
「北方から侵入してくるモンゴル系民族」
を意味し、
"南倭"は
「中国南部の沿岸地域に出没する海賊集団"倭寇"」
のことをいいますが、
これらが
明朝に大きな被害をもたらし、
軍事費の支出増大により、
国家財政を瀕死の状態に追い込んでいったのです。


どのように気象学者は、竜巻を追跡するのですか?


 沖縄県の県鳥はヤンバルクイナではなくノグチゲラですが、
 両方とも我が家ではよく出会うものの、本島中南部の人でも
 実物を見た人は少ないんじゃないかな?
 なにせヤンバルにしか住んでいないのですから。
 もちろんノグチゲラはコーヒー山でも見かけますよ。
 沖縄が返還された1972年に国の天然記念物に指定され、
 1977年には特別天然記念物にランクアップしています。
 1993年には種の保存法施行に伴い、
 「国内希少野生動植物種」に指定されています。
 こんな珍しい鳥が私から2mほどの近くでシマグワを食べていて
 しかも台所正面のモクマオウに
 巣をつくろうと穴を開ける音が聞こえてきます。
 頭には赤い帽子をかぶったように見えます。
 警戒心が強い鳥で、人の気配を感じると
 すぐに飛び去ってしまいます。
 外からでは台所が暗いので鳥からすると見にくいので
 バードウォッチングが充分楽しめるのです。

かつて中国本土から追い出され、
北のモンゴル高原に退去したモンゴル民族は
北元を建国後、「タタール部」と「オイラト部」に分裂するのですが、
("北虜"とは、この2つの部族の総称)
15世紀の中ごろにオイラト部を
也先(エセン・ハーン)が統一し
またたく間に東西貿易のシルクロード上の都市がある中央アジアを制圧し、
貿易商人から莫大な貢ぎ物を得たり重税をかけたりして、
さらに明との朝貢貿易を行って、莫大な利益を得ていたのです。

当初は明とモンゴル族(オイラト部)双方は
お互いの利益を優先して争いもなかったのですが、
オイラト部に従わない部族が独自に明領に入り込んだり
オイラト部の朝貢使節への恩賞をたくさんもらいたいがために
使節の人員を増大させたり、その申告人数が
大幅に水増しされていたことが露見されたりと
だんだんと小競り合いが多くなり、
ついに明が也先(エセン・ハーン)に対して、一方的に
貿易制限(2割程度に減らす)を通告したことで、
也先(エセン・ハーン)は報復のために、
数万の軍を率いて明の長城を超えて攻め込み、
これに6代皇帝・明英宗が50万の大軍で応戦するのですが、
明軍は北京の北の「土木堡」という部落で
数十万人の死傷者を出して完敗し、
6代皇帝・明英宗は草原の上に座り込んでいるところを
オイラト軍に捕虜にされてしまう失態を演じてしまうのです。
この年は足利義政が8代将軍に即位した年でもあります。

也先(エセン・ハーン)は、明皇帝という人質を楯に
有利な和睦条件を画策するのですが、
明では早々と7代皇帝・明景帝を即位させたために
人質としての利用価値がなくなり、
元6代皇帝・明英宗は無事に明に送還されて、
その後8代皇帝に復権することになるのです。


 ノグチゲラは漢字で書くと
 「野口啄木鳥」というようにキツツキ科の鳥で、
 DNA解析では同じくキツツキ科のアカゲラの親戚らしいですね。
 縄張りは約4haもあるそうですから、
 高校野球が行われている阪神の甲子園球場のグランドの
 約2.7倍の広さを飛び回っていることになりますね。
 コーヒー山では樹幹の間を、Sinカーブを描くように
 優雅に飛んでいました。
 「画像を縦に90度修正し忘れた?」
 と思うかもしれませんが、
 ノグチゲラが横になっているので、
 画像は台所から見上げた通りなのです。
 体長30cm前後ある大きな鳥で威厳がありますよ。


「琉球」は、明の初代皇帝・洪武帝から授かった国名で、
明朝から琉球に冊封使(さくぽうし)が度々訪れるのですが、
明朝6代・明英宗の頃には
琉球では3代国王・尚忠王(しょう ちゅう)と
4代国王・尚思達王(しょう したつ)の時に冊封使が来琉し、
明朝7代・明景帝の頃には
5代国王・尚金福王(しょう きんぷく)、
6代国王・尚泰久王(しょうたいきゅう)の2回、
明朝8代・明英宗(捕虜から戻り再び即位)の頃は、
7代国王・尚徳王(しょう とく)の時に
冊封使節団が福州の五虎門(ごこもん、五虎島の海門)から
奉使船で那覇港に着き、
識名園が今の迎賓館のような感じで使節を歓待していたのです。

さて、6代皇帝の明英宗がオイラト軍に捕虜にされてしまったことで、
首都北京は皇帝不在の危機に陥ってしまうのですが、
当時、兵部尚書(へいぶしょうしょ、=国防長官)だった于謙(よけん)は、
南京遷都などを唱える無能で弱気な群臣の中で、徹底抗戦を強く主張し、
臨時執政職に有る、捕虜になった6代皇帝の弟を即位させ7代皇帝・明景帝とし、
也先(エセン・ハーン)が明皇帝の人質解放交渉を不利にさせてしまったり、
あるいは無能な官僚たちを粛清して明軍の士気を高め、
北京城の西側の徳勝門めがけて攻め込んでくるオイラト軍を迎え撃ち
激戦の末に、ついにオイラト軍は退却し、
于謙の智略と勇気のおかげで明は救われたのです。

その後、明とオイラト両軍に正式に講和が成立して、
捕虜になっていた6代皇帝は明に無事に帰還してくるのですが、
帰国して「上皇」となった元皇帝は、
非常時とはいえ実弟・明景帝が7代皇帝になっていることで
兄弟の関係が気まずくなり、
やがて弟の7代皇帝が病に伏すと、
兄の元皇帝は、
権力欲の塊りで卑しい官僚たちに担がれて
8代皇帝に返り咲いてしまうのです。

皇帝の側近になって権力を手に入れた卑しい彼らは
智略縦横にして清廉潔白、勇往邁進(ゆうおうまいしん)、
人民の信頼を一手に得ている救国の英雄・于謙には
嫉妬やひがみだけでなく、邪魔な存在ですから、
彼らは于謙の失脚を図り、
「捕虜になった明英帝の同意無しに、
 実弟の明景帝を7代皇帝に即位させたことは反逆罪だ」
と、于謙は冤罪で投獄されてしまうのです。


 ノグチゲラは野口啄木鳥と書くので、
 「野口さんという方が発見したのでしょ?」
 と思うでしょうが、
 明治初期にノグチゲラを発見したのは
 ヘンリー・プライヤー(Henry James Stovin Pryer)という
 英国人の動物学者なのです。
 プライヤーの内妻が野口姓らしいので
 「ノグチ」が冠に付いたのかもしれませんね。

最難関の官吏試験「進士(しんし)」合格者には
官界のエリートとしての将来が約束されていて、
合格は「50歳でも若い方」といわれているのに、
于謙は23歳で合格してしまうのですが、
彼の才能を疎(うと)ましく思う朝廷側近や官僚たちに
何かと昇進の妨害をされ続けながら
27歳で御史
(ぎょし、官吏監視・監察といった取り締まり役の皇帝直属の役職)
32歳で兵部右侍郎
(へいぶうじろう、左右は"補"の意味で、兵部は国防=国防次官)
と昇進しています。

当時は(今もそうですが)賄賂(わいろ)や貢ぎ物を得るのが
慣行化されていたために
優秀で清すぎる于謙は職場の同僚や部下からは
嫌われていた存在でしたが、
「両袖清風(せいふうりょうしゅう)」
とは、
任地から都へ戻る時に、両袖に清々しい風だけを入れて帰るという、
私利私欲にとらわれない清廉潔白な官僚の例えですが、
このことわざは于謙に由来しているとされています。

卑しい私心で権力にしがみつく厚顔無恥な官僚たちによって
救国の英雄・于謙は冤罪で処刑されてしまうのですが、
于謙は博識博学ですから多くの漢詩も残しています。

「薫風(くんぷう)」というのは
初夏、若葉の香りを送るように
さわやかに吹く南風をいう言葉で
上古の舜帝(しゅんてい、伝説の天帝)が
五弦琴を弾きながら歌ったと伝えられる
『礼記注疏(れいきちゅうそ)』の「舜弾五弦之琴其辞」には


 南風之薫兮
 可以解吾民之慍兮
 南風之時兮   
 可以阜吾民之財兮

 
 南風の薫(くん)する
 以て吾が民の慍(いかり)を解く可(べ)し
 南風の時なる
 以て吾が民の財を阜(ゆたか)にす可(べ)し

というのがあって、
于謙はこの詩句に基づいて"薫風"を使い、
以下のように「偶題」という、
即興の詩を残しています。

 薫風何処来
 吹我庭前樹
 啼鳥愛繁陰
 飛来不飛去
         

 薫風(くんぷう) 何処(いずこ)よりか来(きた)り
 我が庭前(ていぜん)の樹を吹く
 啼鳥(ていちょう) 繁陰(はんいん)を愛し
 飛び来(きた)りて飛び去らず

「清々しい初夏の風がどこからか来たり、
我が家の庭先の樹を吹く。
鳴き声をたてる鳥は茂った木陰を愛し、
飛んで来たまま飛び去ろうとしない」

という意味で、
庭先の何げない情景の描写の中に
夏の訪れを感じさせる詩です。
本当は先月初旬にこの原稿を書いていたのですが、
ノグチゲラの画像が不鮮明なので、
撮影し直そうと思っているうちに
台風9号が来てしまい、
シマグワの実も吹き飛ばされてしまいました。


 コーヒー山の南山尾根で、昨秋移植した苗木です。
 早々と根が活着したのは嬉しいのですが…。
 コーヒー山で唯一、品種が不明なのです。
 "しのぶ"さんというお名前の方から苗木を譲渡して頂きましたので
 コーヒー山では「しのぶコーヒー」と呼んでいます。
 尾根にあるために、始終風にさらされています。
 特に東の谷から吹きつける東風が吹き抜ける尾根なので
 今回の台風9号でも長時間暴風雨にさらされ続けましたが
 今のところ不思議に耐えしのいでいます。
 今後、尾根にヤンバル在来種の防風林を植えて防風強化を堅固にするか、
 あるいは、黒ポットに入って移植準備中の「しのぶコーヒー」の苗木たちは、
 避難して別の場所に植えることになるかもしれません。



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