2012年4月17日火曜日

みず☆たま - 4. ビーンストーク


 奥田慎吾は潜水に備えて、文明化されたヒトでありながら、服なんか縁もなく、素っ裸ですごす爽たちの、肌の黒い部分に似た色のドライスーツを着ていた。まあヤツらは局部を体内にしまい込めるので、殊更にかくさなくてもいいし、水の中で抵抗少なく泳げるように進化した美しい体を、不格好な服で隠すのは愚そのものだ。

 素潜りのときでも、怪我を防止するために水着だけで済ますことはまずないが、爽のようなゲイたちと潜るときは、一層の用心がいる。冗談で人を溺れさせるような悪趣味は、爽たちオフリミッターに限っては心配する必要はないが、やつらはとにかくデカいのだ。そのことを甘くみたら、きっと後悔する。

 爽はまだ若いオスだから、身長は八メートルほど� ��体重も五トンを越えたか越えないかぐらいだろうが、それでも、あの胸ヒレで叩かれたら、加減してくれていても受ける衝撃は生半可なものでない。大体、そんなデカイやつがあんなに高速で、しかも長時間を移動できるというのが、陸に生きる者からしたら、ほぼ反則に近い。万が一彼らがそれをうっかり加減を忘れた日には、軽く昇天できる。

 デカイくせに、人好きで、遊び好きで、スキンシップ好きな連中のじゃれ合いに巻き込まれたら、まあ、命がいくらあっても足りないというところだ。種族の本能が陽性なのか、あの仕事をさせたら緻密で隙のない、爽の直の上司、クールでタフな印象がある凪海なぎうみさんだって、仕事が引けたときに、爽と体をぶつけ合いながら「じゃれ 」ているのを見ると、本当に彼らはいわゆる遊びが好きなのだと実感する。

 そして、そんなときは心の底から近寄りたくないと慎吾は思う。

 凪海さんと爽のぶつかり合いだけで、正直ビビれるのだから、噂にきく数百頭が一堂に会してはしゃぎあう、スーパーポッドの日なんかに、海にエントリーなんか、死んでもしたくないと思う。
 慎吾がまだ見たことがないスーパーポッドの日、オスの水面を突き抜けて聳える、陸人の身長をそれだけで凌駕する、二メートルを越える背びれと、美しく鎌形の弧を描くメスの背びれと、それからかわいくカールする子供の背びれが、波頭のごとく延々と続いて、海面を埋めつくすのだと聞いたことがある。

 彼らの呼気である潮吹きの作り出す細かい霧が、大気を白く染める。

 オス同士が集まり、その巨体をぶつけ合うようにして練り合ったり、泳ぐ速さを競い合う競争を始めて、抜きつ抜かれつを激しく展開していたりする。
 中には雄同士で交尾の真似事をするような、阿呆なやからもいるそうだ。これだから、陸海問わず、オスってヤツは、と言われるのだ。

 子供同士も大人を真似て無邪気にはしゃぎ、年長の雌の背中によじ登ってはすべりおりて、戯れたり、ときには、女盛りのメスがオスとの交流を心置きなく楽しめるように、年長のメスや子を産む前の少女が集まって、幼い子供のベビーシッティングをしていたりするのも、別に陸のサルが押しつけたやりようではなく、彼らが伝統的にやってきたやり方らしい。
 彼らにとってそのイベントは、祭りにも等しいらしく、本当に楽しそうにそのときのことを爽は話してくれる。「楽しそうだな。」と慎吾が言ったとき、深く考えないヤツは、気軽に「じゃあ遊びにくれば?」などと言ってくれたが、冗談じゃない。

 慎吾の軋轢死を爽が望んでないのであれば、冗談でしかないと信じたい。

 連中が遊ぶのを気軽に眺められるのは、海にエントリーしないで、つまり同じ土俵に立たないで、ボートの上から観察を決め込んでいる陸人、爽たちが些かの侮蔑を込めて呼ぶところのサルどもだけだ。海に生きる、彼らでない生き物にとって、やつらの総会は、極めて傍迷惑な恐るべきものに決まっている。

 まあ、凪海さんや爽のように、陸、海のサル系ヒトをサポートする訓練をしてき� �いるやつなら、リミッターがなくたって冗談で殺される憂き目には遭わないだろうが、実際、やつらの遊びに巻き込まれて命を落とす人間がいたのは、強制的に速度制限を課す装置を、彼らに一様に負わせるという現在のスタイルに至るまでは、過去に何回も繰り返された悲惨な事故が繰り返されたそうだ。

 海中においての文明的諸活動を、パートナーシップを組んでやれると旧陸棲人類に目が付けられたゲイ、種族名称シャチだが、現状として彼らのうちの全てが、教育を受け、高度なコミュニケーション能力を持ったゲイというわけでない。
 いうほどの高度に思考できる相手として、白羽の矢が立ったことになるシャチだが、彼らの全てがゲイとして生きていないことには、いくつかの理由がある。まず種族の中の個性的なレベルでの問題だ。

 連中はそれぞれの生活スタイルに合せて、相当に偏食だ。魚を喰う家系ポッドに育っていれば魚だけしつこく喰うし、海生哺乳類を好んで食べる連中は、基本的にそれだけを専門に食べる。
 シャチと一括りにいっても、海生哺乳類を専門に食べている連中は、そもそもがおしゃべりではない。知的に洗練度が高い相手に、それと気付かれないように接近するのだから、余計な会話コールはしない。つまり水中マイク(ハイドロフォン)の出力を上げたところで滅多に声は聞けるものではない。
 大体、狩りの効率と、分け前の関係からだろうが、単独行動、ないしは家族というには些か寂しい二、三頭で行動することが多いし、大体泳ぎ方も意表をつくというか、一度潜ってしまえば次にどこに出てくのか想像もつかない。
 定住という概念がない彼らは、大きく回遊していたり、沖合に群居していたり地域によってそれぞれだが、彼ら自体に洗練された社会活動という土俵がないのだから、そんな連中とそもそも異種族である陸棲人がコミュニケーションできるものではないだろう。


なぜエルニーニョとスペイン語のラニーニャは、

 当然、人がパートナーに選んだのは、五、六人から十数頭前後の家族で基本的に生活していた定住型レジデントと呼ばれていた者たちだ。
 彼らは家族でのみ暮らすだけでなく、年に数回、たくさんの家族が集まって大交流会スーパーポッドを行うような社会を、陸人がちょっかいを出す前からそもそも持っていた。
 それにテリトリーの湾の地形を把握して、目的毎に利用方法を使い分けたりと、社会生活のスタイルが、陸人のそれに、もともとが近いからというのもあっただろう。箱ものを建てたところで、使い方さえ分かれば楽しんで使うだけの余裕があるのが定住型のシャチのいいところだ。豊かな漁場を確保しているから、かつかつしていない。何事にも余裕がある。

 「余裕」で思い出したが、一般の人には聞き慣れないだろうが、後生殖期という言葉がある。これは生殖に関わらなくなってからの、種として見込まれる生存期間のことで、もちろん野生下の殆どの生物においては、ほぼないものと断じていい。昆虫などに至っては、産卵を契機に生体活動が停止するほど極端なものは、哺乳類になると少ないとはいえ、それが不自然� ��ヒトを初めとする比較的長命の生物で、幾つか確認されているものだ。その後生殖期が、定住型のシャチはもともと長くあった。孫や甥、姪などの保育をしたり、母親は子を預けて自由に狩りをしたり、もともとがそういう在り方で、一人一人の孤独な人生ではなく、家族のために彼らも生活してきたのだ。

 自然下では人より若干短かった寿命も、都市化して生活している今は、オトコが六十前後、オンナが八十前後になっている。雄の寿命は陸人のそれまで不思議と追いついていないが、雌は大体、陸人と同じほどのサイクルで人生を生きている。
 サイクルが些細なことだが、そんなこともパートナーとして大事なことだと思う。やはり二十年や十年程度の生涯を生きるものと、同じ土俵で考え辛いし、ファンタジーに出て来るエルフじゃないが、二百年、三百年、五百年の寿命を生きるモノと、同じ土俵で哲学を語ることもできないだろう。
 海の中に生きるどれかの種族とパートナーシップを築くにおいて、サルがゲイを選んだのは、まあ、現状を見ると非常によい選択だったのだと言える。

 どちらかというと、色々な物事を暗く捉えがちな自分サルたちと違って、ゲイの連中は非常にあっけらかんと明るい。

 かつてイルカと呼ばれる小型の鯨たちは、鑑賞用だったり、アニマルセラピーでヒトを癒していたりした歴史がある。実際、自分たちには余り物事を悲観的に捉えたり、悪い方に悪い方に全てを解釈したりするような悪癖の持ち主は少ない。
 慎吾などは、ただ自分の人生に残された時間を呼吸して過ごすだけの、自分の遺伝子を次世代に伝えることを奪われている多数のヒトの中では、随分と楽天的にできているという自負はあるが、それだって、爽たちと過ごした後は、何かものすごいパワーを充填してもらった気がするのだ。

 高度な社会生活を押しつけたのはヒトだが、彼らはそれを自由に自分たちに相応しく、応用して、いいとこ取りしてるとでもいおうか、うまく選択的に適用している。

 そもそも連中は、裸一貫で食物連鎖のほぼ頂点に君臨している生き物だから、単体で弱いという自覚も、世界に対する恐怖ももともとない。暗闇に怯え、たいまつをかざしていきがって、石を研磨して棒切れに付けて対等を確保して、筒に詰めた鉄玉を火薬でとばし てやっと優位に立ったような、そんな弱者の黒歴史がない。

 だから、建物というものを作ったところで、こそこそとそこに守られて安息を得ようなどとは思わない。
 海の中では、陸にいるときより軟弱なサル系人と交流したり、学校や役所のように建物があった方が気分的に都合がいいモノであると割り切って、あるいはコンピュータや通信機器、娯楽用具を整備するのに都合がいいからと利用するだけで、建物は住居ではなく、どこまでも基本的に集会所だ。

 彼らは狩りをしながら食事をするという習性も、陸の都会に住む人間が、イベントとして外食に行くような感覚で、冷凍された魚を解凍して食べるという単なる栄養補給としての食事とは住み分けさせて変化を持たせている。

 その狩りにしてもそうだ。その技術を子供に教えるのは、陸人が普及させたシステムとしての学校で、読み書きや計算、理科、社会などの知識を学ぶのとは別建てで、家庭ポッ� �内で伝わってきた伝統のやり方を直系の子孫にだけ伝えていく。

 彼らの身内だけの鳴き方、コールパターンもそうだ。言葉を言語化する機械を組み込んでいるゲイは、言葉に関してはサイボーグと言えるだろう。彼らは思考を文字に素早く置き換えて、それを人どうしが会話する言葉と同じように音声化して操るが、だからといって、伝統的に先祖が伝えてきた、我が家のコールパターンを捨てたりはしていない。

 ゲイは高度に知的だからヒトだという者と、いや、たかがクジラだ。ケダモノだ、人に非ず、という者がいる。
 慎吾自身、百年程度のやっつけ仕事で、アタマのいい連中が、コミュニケーション手段を確立したとか、海のエキスパートと難しい局面を乗り越えるために協働していくのだとか聞いていたときは、妙なことを考えるやつがいるもんだと思ったし、ゲイが人であるなどというのは、ちゃんちゃら可笑しいと思っていた。

 慎吾は研究者という括りになっているがあるが、深海を調べたり、海の基礎科学の部分を追究している海洋学者ではない。飽くまでも、そこそこの深度における建設、いわゆる海洋土木業マリコンの紐付き研究者上がりで、相当に技術者寄りの立ち位置だ。
 今回の国際プロジェクトである、軌道エレベータ建造構想において、アースポート部分を、地面に固定した建造物でなく、海上に移動可能なメガフロートとして建設する青写真が焼かれたために、慎吾は、風が桶屋を儲けさせた的な偶然が偶然を呼んだ結果、たまたま指名されたのだ。


なぜ人々は、昆虫を食べますか?

 海中都市に長期的に住むためには、ちょっとばかり親からいただいた大切な体を加工した方が便利なのだ。が、このテの加工は、大体においてほぼ不可逆だ。まあ、その気になれば可能なのかもしれないが、少なくとも、慎吾が同意書にサインしたときの、びっしりと裏面を埋めつくした約款は、老眼を気にする必要がない若い慎吾でさえ、げっそりさせるものだった。
 昔から思うが、契約書だの同意書だのの用紙の裏にびっしり印刷された約款というやつは、熟読させないように、わざと読みにくくしているに違いない。

 フィールドワーカー色の強い海洋生物学者は、好き、知りたいが嵩じて海中都市に移住する人間も多いが、海洋土木マリコンの基礎技術研究者で、海中都市に住民票をおいている人間は、爽が知る限りではごく少数だ。

 慎吾は、爽と出会った約十年ほど前を何とはなしに思い出していた。

 遠い先祖から連綿と受け継がれてきた、そして両親から受け取った血肉のある、生命のやどる体というものを、彼は次世代に渡していけない。けれど実は、慎吾にはそうできるチャンスが一度あった。

 それは慎吾だって、自分 の子が欲しいと思わないでもなかった。けれど惚れていた、そして慎吾を愛してくれた女が、どうしても一緒に子供を産んで育てたいと言ったとき。そして、特区への移住権を申請したいと言ったとき、特別に反対しなかったのは、是が非でも己の子が欲しかったというよりむしろ、そんなもん、絶対に当たるわけがないと高を括っていたからだった。

 彼女が特区への居住権を引き当てたとき、慎吾は喜ぶ前に混乱した。そして一緒に行くことを躊躇ってしまったのだった。

 もちろん、自分の子が持てるというのは、非常に心惹かれることだった。けれど、十年近くも特区にぬくぬくと隔離され、たった一人の配偶者と子作りにせっせと励み、子供を育てることだけに人生を費やすことが、果たして男の仕事なのだろうかと� �ってしまったのだ。

 サカッて、ツガって、子供をメスに産ませて、子供を育てること。そんなことで色々動くことができる若い時代を費やして、後悔しない自信がなかった。

 自分のしたい仕事を見つけられていない、生活保護でのたのた暮らしているような、多くの青年たちのようであれば、子づくりと子育ては、人生をかけて取り組むべき仕事とすることに疑問などいだかなかったかもしれない。けれど慎吾にはしたいことがあった。

 あのときの慎吾は――今もそうだが――建築業というものに、自分がかかわった成果が、巨大な建造物という形で作らていくことそのものに、たまらなく魅せられていた。竣工式前の、強固に聳え立つ勇壮にも感じられる建物の外観を見上げるときのエクスタシーにも似た興奮は、 一度知れば麻薬のように慎吾を魅了した。

 特区で居住している間の人生は、妻を愛し、子を慈しみ……そしてそれだけなのだ。女なら、そのために人生を注ぎ込んで、それが犠牲などと思ったりしないのかもしれない。けれど、慎吾はそういう生活をしたくはなかった。

 もちろん、女にしてみれば、慎吾の躊躇は、裏切り以外の何者でもなかったのだろう。半年、一年と特区への引っ越しを先のばしにしているうちに、とうとうキレた。

 どうしても己の子を欲しいと望んではいるものの、ステディな相手がいない連中が、配偶者を持たないままに子供を産む権利を得た女に、選ばれるためにプロフィールを登録しておくサービスがある。彼女はそんなところに登録している、やりたい男の仕事を持ってないような連中� ��、見合いしまくりだしたのだ。
 どうせ自分をけしかけるための当てつけだろうと見くびっている間に、高学歴で、ナイスガイ風イケメン野郎と、彼女はあっさり結婚して行ってしまった。
 ぶっちゃけ、煮え切らなさに業を煮やした女に、慎吾は捨てられたということだ。

 一応、テメェの勝手で女を振り回していたくせに、一丁前に慎吾は落ち込んだ。こうなった以上は仕事をするしかないと思っても、気合いがどうにも腑抜けてしまうのだ。

 そんなときに、たまたまゲイと仕事をする機会に恵まれた。水族館で子供のころにみた、イルカショー。エサをぱくつきながら芸をするイルカたち。ゲイの存在は知っていたが、やはり卓越したコミュニケーション能力で、ヒトのパートナーとして働いている鯨類がいるという話を聞いたことがあっても、あのイメージが強く、麻薬犬や盲導犬のように働く犬たち程度の存在だろうと思っていたのだ。

 彼らは常に遊びを忘れない。陽性で、まさに海に君臨して� �る王者の風格だ。その巨体から、耳慣れた日本語や流暢な英語が発される驚き。
 彼らの思考を慎吾たちが捉えられる音声としての言葉にするのは、いわゆるロボットボイスであり、彼らが多くのサンプリングデータから、自分のイメージに相応しいものを選んで使っているだけなのだが、それにしても、ある意味ショックを慎吾に与えた。

 そして、多分、そのときから魅せられている。思い切り、どこまでも。

 もともとメガフロートをずっと専門にしてきた慎吾だが、彼らに魅せられついでに、水深二十五メーター以深の海中に浮遊させる巨大建造物、海中浮遊都市に興味の対象が移っていった。メガフロートは、所詮、霊長類、陸にすむ頭でっかちなサルの身丈に合った構造でしかないが、ゲイと共存するための建造物としての海中浮遊都市は、全てのスケールが全く違う。
 慎吾は結局、入れ込み過ぎて、海の住人になることを選んだ。連綿と続いてきた我が身を構成する遺伝子が、この世代で死ぬことになるという人生を、積極的にではないが、結果として自分で選んだのだから、そうであれば一代限りの興味を、思う存分追究してもいいと思えたのだ。

 もちろん、両親は大反対をだった。父親は激怒したし、母親は泣き崩れた。五体満足で産んでやったのに、何をトチ狂ってと、つまりはそういうことだ。藪を突ついて蛇を出す愚は犯したくないから白状してないが、ずっと付き合っていた恋人が、出産権を手に入れたのに、そのパートナーから落伍したなどということがバレたら、それこそ大変だ。ミオグロビン含有度が低いにもかかわらず、あっという間に真っ赤に茹で上がって、卒中を起こ� ��に決まっている。


カキの摂食は何ですか?

 慎吾にとって、波や風雨による劣化との激しい戦いであるメガフロートは、既に興味の対象になかったし、海に移住することを選んだのだから、二度とかかわることもないと思っていた。

 それが、今回の国際プロジェクト、ビーンストーク(豆の木)計画において、現在稼働している中で、一番エレガントな(この表現は非常に面映おもはゆかったが、めちゃくちゃ嬉しかった)海上都市のコンセプトをまとめ上げた人物として、慎吾の名前が挙がり、協力要請がきて、思い切り心が動いた。
 実際慎吾は、都市が機能していく上での諸問題を解決するための、当時としては斬新な、今ではごく一般的になっているアイデアをいくつも考え出したが、飽くまでも設計チームの一員として参加しただけのことで、具体的に慎吾の名前が燦然と輝いているわけではない。にもかかわらず、慎吾の名前が挙がったということは、そのチームに参加していた誰がどういう仕事をしたのか具体的に検討してのことになるだろう。
 自分のアイデアが有効に機能しているだけで、設計者冥利に尽きるというのに、こういう形でアプローチが来て、奮起しないやつなどどこにもいないだろう。

 次の世代を生きる子供は持つ機会を自ら逸したが、歴史に名が残る仕事にかかわれる機会は向こうからやってきた。つかみにいこうとしない理由はどこにもない。

 以前から放射性廃棄物を太陽だの木星に打ち込んで、処分しようという提案もあったが、大圏内で爆発などの事故が起こった場合の悲劇的結末を恐れて、誰もマトモに相手をしてこなかったし、乱暴さで定評があるほぼ独裁体勢の国でさえも、その案を採用してこなかった。
 けれど放射性廃棄物を無害化する技術が確立されない以上、地中にも海中にも投棄したままでおくことの危険は専門家が警鐘を鳴らすまでもなく存在しつづける。
 現在では、原発そのものが稼働している国はないが、世界のあちこちに存在する、原子力発電所跡地は、建物という体裁をとっているが、あれそのものが放射性廃棄物と捉えている研究者が多い。

 そんなわけで再度、思い出したかのように注目されたのが、太陽もしくは木星に向かって、それら廃棄物を打ち出すという案だ。しかも、ロケットでいきなり太陽目掛けて打ち上げるのではなく、爆発されては非常に困る大気圏内を、ゆったりと通過していただく、これもSFネタとして古来おなじみの、軌道エレベータで運ぼうというのだ。

 建造費と維持費に見合った利益を得られるのかというところで、いつまでもSFの独壇場だった軌道エレベータの建造が、具体的に検討され始めたのだった。
 かつてSFで構想されたように、宇宙に棲む人のために、あるいは宇宙からの物資を地球に運搬するためのエレベータであれば、運ばれるヒトへの配慮も設計に入れねばならないが、とにかく、宇宙空間まで安全に廃棄物を移動させられればいいのだ。

 もちろん、軌道エレベータという概念が初めて提唱したとされているのは、SFネタではなく、旧ソヴェトどころか帝政ロシア時代から宇宙開発に欠かせない、多段式ロケットも含むロケット理論を立て、宇宙服の概念による宇宙遊泳、人工衛星までも着想をした、1857年生れのコンスタンチン・エドィアルドウィチ・ツィオルコフスキーというのが定説になっている。
 彼は、七十八で死去するまでに、その心を宇宙空間に自由に羽ばたかせ、当時としては驚くほど独創的であった、宇宙ステーション、ブースターなどまでも実現可能なものとして捉えていた。

 啓蒙的な色彩が濃いながらも、月世界への旅行などを描くSF小説を書き、SFというジャンルにおいてもエポックメイカーとしての役割を果たした。

 かの著名な、「地球は人類の揺り籠だが、我々が永遠に揺り籠に留まることは無いであろう」という一節は、彼が知人に宛てた手紙の中で語っていた言葉だ。

 ソヴェト連邦時代もしっかり活躍していた彼は、僅か九歳で猩紅熱により聴力を失う。ツォルコフスキーの静寂に支配された耳は、彼の人生を損なったのであろうか。それとも、あたかも目の見えない人が、必要� �押されて聴力や触覚を研ぎ澄ませたりするように、存分に思索し、想像力というものの翼に推進力を与えるための、友となったのだろうか。それは余人が推測するべきことではないのだと思うが。

 さて、かのツォルコフスキーは、1889年パリ万博のために建造された、エッフェル塔をみて、軌道エレベータという名前ではなかったものの、赤道から天に向かって塔を建てていくと、静止軌道半径において、重力と遠心力が釣り合うという、軌道エレベータの基本原理を得たとされる。
 エレベータという名前で誤解されやすいが、ケーブルを介して、籠を移動させるのではなく、ケーブルは軌道として固定されるので、ツォルコフスキーの使った「塔」という言葉の方が相応しいかもしれない。
 ただ、キリスト教の息がかかった歴史を持ち、聖書の文言が魂に刷り込まれる人種にとって、「塔」――それも人の持つ技を集大成した挙げ句に天まだ突き抜けていくそれ――というのは、かの悪名高き「バベルの塔」を連想させるから、縁起を担いで避けているに違いない。失敗、破滅を想像できる言葉をさせようというのは、何も言霊の国ニッポンの専売特許でもないということだろう。

 軌道エレベータ建設に向けての、国際プロジェクトの、いわゆる愛称のビーンストーク計画というのは、もちろん、子供に長年愛されてきた例のお話「ジャックと豆の木」の、天に伸びる「豆の木」からきているものだ。あれは、豆を投げ捨ててから一夜のうちに天まで届く梯子として育ち、天空の住人である大男から富を巻き上げて来� ��お話だ。オチは、ジャックが木を切り倒してしまうのだから、やっぱり、縁起の悪さでは変わらない気もするが、少年にとってのハッピーエンドだから、そのへんのところは、プロジェクトの音頭をとっている人間(あるいは、広報の担当官)は気にしないことにしたのだろう。

 愛称がどうのこうのは別として、赤道上に建設することで、ケーブル全体に掛かる張力を軽減できるという基本ポイントも、この時点で既に押されられていたことになる。


 そもそもこの豆の木が長い間、SFのガジェットでしかなかった理由は、過去においては、静止軌道に至るまでの三万六千キロメートルにも及ぶことになるケーブルが、自重だけでなく遠心力を考慮しても切れることがない、強度を持つ物質がなかったからであった。
 そして、カーボンナノチューブが発見されて、素材的に実現可能となったはずの1991年に、国家威信をかけた宇宙開発競争の原動力でもあった東西冷戦というやつが、七月の第一次戦略兵器削減条約(START)が締結され事実上終焉しているのだ。
 その年に、まさに宇宙開発そのものに大きなブレーキが掛かったのだから、随分皮肉といえばいえよう。

 軌道エレベータを安全に稼働させるために、軌道エレベータの建造に先立って、スペースデブリ回収プロジェクトが先行して稼働し始めているのだが、これがまた問題だらけでカタログデブリだけの回収だけでも、まだまだ相当の時間が掛かるだろうということだ。

 スペースデブリというのは、簡単に言えば回収されずに衛星軌道上にばらまかれているゴミだ。耐用年数を過ぎたり故障したりして、回収も修理もされないままにされている人工衛星であったり、多段ロケットが切り離した廃棄物であったり、地球の引力に捕らわれたものの落下に至らなかった流星物質メテオロイド や、宇宙飛行士が落とした工具までが含まれる。

 スペースデブリというものは、低軌道では秒速七、八キロメートル、静止軌道まで上がっても、秒速三キロメートルという超高速で移動している。初歩の物理学だが、運動エネルギーは速度の二乗。十センチも直系があるデブリがISS(国際宇宙ステーション)にでも突っ込んだ日には、爆撃されたのと変わらないダメージが行く。
 宇宙プロジェクトを抱えていない国はともかく、宇宙進出の野望を捨てていない各国では、とりあえず十センチ以上のスペースデブリをカタログにのせて、常時観測をしている。ただ、その数が前世紀の終わりで約九千。デブリ同士の衝突で個数が増えてしまう現象も、その危険性を指摘したドナルド・ケスラーのシュミレーションモデルに留まらず、実際に観測されている。

 そして、そいつらがうっかりぶつかり合って壊れたり、地球の衛星軌道上に散乱している現状を先になんとかしてくれないことには、豆の木は天に伸ばせない。豆の木といったって実質塔なのだから、うっかり倒壊すれば、恐ろしい悲劇になる。巨大な建造物が恐ろしい位置エネルギーを加えた状態で大量に降り注ぐだけでも恐怖なのに、それが放射性� ��棄物満載したゴンドラ込みで降ってきたら……、いやはや、考えるだけでも恐ろしい。
 海底から回収して、比較的地殻活動が安定している海域の、水深千メートルほどの場所にフローティングさせた状態でまとめつつある、様々な汚染物質の貯蔵量は、ゲイとオニの協働により順調にその量をふやしているが、今は貯めておくしかしようがない。

「赤と黒って、スタンダールだったかしら」
 つらつらととめどもない考えを弄んでいた慎吾の耳に、女の声が飛び込んできた。

「……そんなこと、いきなり聞かれても困るかしら……奥田先生」
 日本語の先生という呼びかけは便利だなと、全く関係ないことを慎吾は考えた。何かの専門家だったり、ちょっと偉そうにしている人に、名字さえしらなくてもとりあえず使っておけば間違いない。英語のドクターにはない便利さだ。

「……遠音とおね?」
 慎吾の口は、パニックになりかけて訳の分からないことをとっさに考えていた脳味噌より素直だった。かつては聞き慣れていた声の持ち主の名が、舌にすんなりと乗って出ていた。

「久しぶり……ね。相変わらず元気そう。でも……本当に、真っ赤なのね……肌」

 ああ、遠音が赤と黒といったのは、小説じゃなくて本当は、ドライスーツの黒に包まれて今露出されている手や顔が、陸のサル……(自分までサル扱いはまずいか)、ヒトからみたら異質なまでに赤いことに戸惑っているのだろう。

「久しぶり……って、そんなにあっさり済ませていいのかな。」
 別れる前だったら、いつだって抱き寄せてかまわなかった金澤遠音だが、この女の恋人ではなくなって、もう何年も経つ。けれどこれぐらいが順当だろうと、懐かしさにとっさ、握手を求める形に差し伸ばした手を、遠音は直ぐに取ろうとはしなかった。

「毒はないよ、毒々しいけどね」
 慎吾が笑うと、遠音が、記憶の中のまんまの表情になって苦笑した。
「本当に相変わらずね、慎吾。だじゃれにもなってないわよ」
「悪い」

 自分が悪いと思ってなくても、とりあえず、悪い、ごめんと慎吾は言ってしまう。
「悪いなんて、思ってもないくせに。なんか真っ赤ってだけで、慎吾なんで安心したわ」
 何に遠音が安心しているのか、訳分からんと慎吾が思っている間に、遠音の足が二、三歩素早く動いた。
「彼女いたら、ごめん。今だけっ! 慎吾ぉ、会いたかった」

 遠音の髪の毛が、慎吾の頬をくすぐっていた。

 柔らかく隆起した胸が、少々薄い自分の胸に当たってひしゃげる感じが懐かしい。

 首に巻きつく腕は、ちょっと肉付きがよくなったような気がする。

 トワレのブランドはずっと変えてないみたいだ。

 捨てられた方は依怙地になって拒絶する方がカッコいいのだろうが、捨てられるまでも遠音が好きだったし、捨てられたのは当然だという自覚もあるし、多分、嫌いにはなれていなかったということなのだろう。

 慎吾はうっかり、遠音の背中と腰を両手で抱き寄せていた。うん、背中も腹回りも、ちょっと、柔らかさ十三パーセントぐらいアップ? と、しょーもいなことを考えながら� �一方で慎吾は思い切り戸惑っていた。



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